2017中心市街地探訪103・・青森県弘前市

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2017中心市街地探訪103・・青森県弘前市

青森県の西部に位置し、面積524.20㎢、人口は青森市、八戸市に次ぐ県下第3の174,310人(2017.9.1)を擁する施行時特例市。江戸時代、弘前城の城下町で津軽地方の政治、経済、文化の中心都市として栄えた。明治4年の廃藩置県で津軽藩は弘前県その後に青森県となり、明治22年(1889年)の市町村制施行で東北地方では仙台市と秋田市に並び、青森県下初の市となる人口31,375人の弘前市が誕生した。その後、明治31年には陸軍第八師団司令部が設置される軍都として歩み、大正10年には現在の弘前大学の全身である旧制弘前高等学校が開校し、現在も多くの大学が存在する学園都市としても成長している。近年では、平成18年(2006年)に近隣1町1村と合併して現在の市域となった。
静岡県からのアクセスは、東海道新幹線で東京まで行き、東北新幹線の「はやぶさ号」に乗り換え新青森まで約3時間、さらに新青森から奥羽本線に乗り換え弘前まで35分前後。
中心市街地は、JR弘前駅付近から弘前城の南側周辺までのエリア。
弘前はリンゴの産地としても有名で、廃藩置県の後に県の職員だった菊池楯衛が武士としての職を失ったサムライを集めてリンゴ栽培を本格化したのが始まりで、産業転換に成功した都市という歴史を持つ。中心市街地を歩くと商店街の人通りは少なめだったが百貨店は存在し、かつての城下町が現在の中心と一致していることがよく分かった。また、現存する弘前城の天守閣はもちろんのこと歴史的建造物が数多く残り、中心市街地全体が一つのテーマパークのようだった。人口20万人にも満たない都市とは思えないほどの規模と風格のある街だった。

【JR弘前駅】
奥羽本線と五能線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は4,575人(2016年度)。駅は2面3線の地上駅の橋上駅舎で、自由通路が西側の中央口と東側の城東口を結ぶ。自由通路の中央付近には改札口や切符売り場などの駅施設、西側には駅ビルのアプリーズ、東側には弘南鉄道弘南線の弘前駅がある。城東口(東側)を出ると、路線バスとタクシー乗り場、一般乗降用スペースのあるロータリーが広がり、周辺は住宅街。表玄関である中央口(西側)の駅前広場の南側には路線バス乗り場、北側にはタクシー乗り場があり、周辺はビジネスホテルが建ち並んでいた。

【弘南鉄道弘前駅】
弘南線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は1,367人(2010年度)。駅は1面2線の地上駅で、JR線ホームの東側に位置する。弘南線は弘前駅から黒石駅までの13駅、延長16.8kmを30分で結ぶ。

【アプリーズ】
店舗面積2,683㎡、地上1階から4階までを営業フロアとする駅ビル。

【大町通り】
弘前駅前から西側へ約600m続き、商業施設のヒロロ付近には飲食店など店舗が集まっている。

【アートホテル弘前シティ】

【ヒロロ】
店舗面積13,691㎡、地下1階から地上4階までを営業フロアとする複合商業施設で、2013年7月にオープンした。ファッション関係の専門店、食料品などの店舗のほか市の出先機関や市民ホールなどの公共施設も入っている。

【遊歩道(えきどてプロムナード)】
弘前駅中央口から西側に向かい地下道で道路をくぐると、遊歩道の「えきどてプロムナード」(駅前公園から大町、上土手町まで続く延長600mの遊歩道)がある。

【イトーヨーカドー弘前店】
店舗面積17,449㎡、地下1階から地上8階までを営業フロアとする商業施設で、各種専門店のほかクリニック、カルチャーセンター、レストランなども入り、建物の南側には弘前バスターミナルが併設されている。

【弘前バスターミナル】

【並木通り】

【上土手町商店街】
南北400m続く商店街で、約60店が集まっている。

【中土手町商店街】
南北360m続く商店街で、以前片側式アーケードが設置されていたが2007年に老朽化に伴い撤去され、新たに統一庇が設置された。

【弘南鉄道中央弘前駅】
大鰐線が乗り入れ、1日当たりの乗車人員は499人(2010年度)。駅は1面1線の地上駅で、ホームは南側、駅舎は北側にある。大鰐線は大鰐から中央弘前までの13.9kmを約30分で結ぶ路線。

【弘前昇天教会】
大正9年(1920年)に建てられたイギリス積の赤煉瓦の教会で、青森県の指定文化財となっている。

【下土手町商店街】
南北230m続く商店街で、百貨店のほか立体駐車場など比較的大きな建物が建ち並んでいた。

【中三弘前店】
店舗面積20,434㎡、地下1階から地上8階までを営業フロアとする百貨店で、地上6階と7階には大型書店のジュンク堂書店も入っている。運営する株式会社中三は明治29年に呉服店として創業した老舗で、ピーク時の1998年8月期の売上高は415億9,200万円を計上したものの2010年には185億5,445万円まで落ち込み、2011年3月に民事再生法適用の申請をして事実上倒産した。その後、再生計画が実行され営業は継続し、2016年10月青森市に本社を置くMiK(ミック)株式会社の傘下として再出発し、2016年8月期の売上高は約80億円、最終損益は黒字決算という結果だった。

【土手町コミュニティパーク】
地上3階建てのA館と地上1階建てのB館からなる複合施設で、2012年12月にオープンした。施設にはコミュニティーFM局、多目的ホール、ビジネス支援センターのほか、レストランなどが集まる「ごちそうプラザ」が入っている。

【百石町展示館】
明治16年(1883年)に建てられた呉服店の建物で、大正期には津軽銀行に譲渡され平成10年(1998年)10月までその後身の青森銀行津軽支店として使用された。その後は、平成14年(2002年)に市の文化財に指定され、2004年4月に現在の多目的施設としてオープンした。

【三上ビル】
昭和2年(1927年)に建てられた建築面積109㎡の「旧弘前無尽社屋」(後に弘前相互銀行)。弘前では二番目に出来た鉄筋コンクリートのビルで、2003年に国の登録有形文化財となった。

【青森銀行記念館】
旧第五十九銀行本店の本館で、明治37年(1904年)に建てられた歴史的建造物。その後は青森銀行弘前支店として使用されたが支店としての役割を終え、昭和42年(1967年)に同銀行の記念館となり1972年に国の重要文化財に指定された。

【弘前城】
津軽初代藩主の津軽為信が計画し、二代藩主の津軽信枚が慶長16年(1611年)に完成させた平山城で、天守閣内部の弘前城資料館の観光入込客数は392,864人(2014年)。天守閣は築城してから16年後に落雷で焼失してしまったが、江戸時代末期の文化7年(1810年)に辰巳櫓を解体新造して我が国の現存12天守の一つとして現在に至っている。現在、弘前城本丸の石垣が地震による崩落を防ぐための石垣修理事業が行われ、それに伴い天守閣は約70m内側に移動されている。また、弘前城は約2,600本ものソメイヨシノやシダレザクラなどが咲く桜の名所としても知られ、城内には青森縣護國神社、弘前市立博物館と弘前市民会館などの公共施設もある。

【仲町伝統的建造物群保存地区】
江戸時代の武家屋敷の景観を今に伝える10.6haのエリアで、1978年5月に伝統的建造物群保存地区に指定された。この地区には中級武士の住宅と言われる旧岩田家住宅、荒物を扱っていた商家の石場家住宅、津軽天然藍染を体験学習できる丸富川﨑染工場などがある。

【NHK弘前支局】

【弘前文化センター】

【弘前合同庁舎】

【鍛冶町周辺(歓楽街)】

【青森地方裁判所弘前支部】

【弘前市立観光館】

【旧弘前市立図書館】

【旧東奥義塾外人教師館】

【弘前市役所】

【藤田記念庭園】

【スターバックスコーヒー弘前公園前店(旧陸軍第八師団官舎)】

【禅林街・長勝寺】
禅林街は津軽藩二代藩主の津軽信枚が長勝寺を中心に曹洞宗の寺院を集めた寺院街で、弘前城の裏鬼門の方角に当たる南西の砦。長勝寺を含めた33の寺院が全て曹洞宗ということは全国的にも稀で、その寺院は約400m続くスギ並木道に連なっている。長勝寺は津軽家の菩提寺で、1528年に創建され、その後弘前城築城とともに現在の場所に移された。また、その周辺は自然の地形が防御に適しているということから「長勝寺構」と呼ばれる出城の性格を持ち、万一の場合には第二の城としての役割を持っていた。